乳がんブログ

私と家族の生活の違い

家族(父、母、姉)で生活の違いとガンの発症歴をまとめてみました

家族内での食生活とがんの発症歴を思い出して書いてみました。

母は食そのものがあまり好きではなく、若い頃から小食

「食べることがそんなに好きじゃないの、美味しいとあまり思ったことがないのよ」と母は私が小学生の頃から話していました。

あまり食べないのでかなり痩せていました。

一日一食の時もありました。

野菜を食べることが多く、ドレッシング、マヨネーズやお酢をかけてサラダ、そのほかは湯がいた野菜でした。

肉は鶏のささみや胸肉、豚のヒレ肉のみ。それを茹でて食べていました。

魚も焼いてそのまま食べていたりしましたが、鶏の胸肉が多かったと思います。

今思うと筋トレをする人とかアスリート並みの食生活でしたね〜。

ナッツ、ドライフルーツもたまに買ってそのままよく食べていました。

炭水化物も嫌いで、白いご飯はほとんど食べませんでしたがたまにお粥にして食べたりはしていました。

食パンは胃がもたれるからと毛嫌いしていました。

お好み焼きなどの粉物も大嫌いで「私はいらないわ」と家族の分は作っても母は食べませんでした。

そのせいかかなりの便秘でいつも下剤を飲んでいました。

そんな母が唯一好んで買っていたのが果物です。

バナナやみかん、グレープフルーツ、甘夏、いちご、スイカ、もも、ぶどうなどなんでも好んで買って食べていました。

スイーツ嫌いで、ケーキ、クッキー、飴、チョコレートなど全てものは受け付けませんでした。

お酒は好きな母でビールをよく飲んでいました。

普段歩くのが日課で、買い物も遠く離れたところまで歩いて通っていました。

親戚からも家族からも「絶対長生きできるね」と言われていた母ですが病気以外の理由で74歳で他界しました。

母の家系はガン家系で、血液のガンの白血病や乳がん、大腸癌、胃癌など一通り一人はなってるくらい多いです。

なので、母は生前からガン予防のために生活をかなり意識して過ごしていました。

毎年健康診断を受けていて、血液検査はいつもパーフェクトな数値、健康は問題なく、乳がん検査も晩年受けていましたが異常なしでした。

 

4歳年上の姉

食べることは好きな人です。

姉は毎朝パン(市販の食パン)やヨーグルトを食べ、ミルクコーヒー(一回に少量の牛乳を使う)を飲んでいますし、袋入り菓子パンも時々食べていますが深刻な病気をしたことはありません。

同じ食べ物を食べると飽きるらしく、その時の気分で変わると話していました。

特別日差しを避ける生活はしてなくて、真夏でも帽子をかぶる程度です。

趣味はガーデニングでよく庭で土いじりをしています。

子供の中学、高校時も役員(写真担当)をしていたのでよく学校へ行き、行事があるときは一眼レフカメラを片手に活動していました。

平日も自転車で買い物に出かけていっているようで活動的な姉です。

姉は乳がん検診で一度引っかかったことがあり、良性のしこりがあると言われて要観察、マンモグラフィー検査を毎年受けていましたが数年後に消失したようで現在は異常なしです。マンモグラフィー検査も現在は受けていませんがエコー検査は受けているようです。

お酒は一切飲めない体質です。

18歳の時から日焼けを徹底して避けていた私

独身のころから乳がんになるまで、美白を意識して徹底的に太陽を避けて黒い日傘や長袖など着て日光を避けて生活していました。

今思うとかなり神経質でしたね〜。

UV加工の特殊な長袖ジャージを日除け用にわざわざ買って使っていましたし、日傘をさしてさらに帽子もかぶっていました。

今、真夏以外は帽子と日傘を使わなくなりました。顔のシミは結構増えましたがタモキシフェンも飲んでるし歳のせいもあると思います。

私は幼少期〜小学1年生まで偏食が酷かった

食に関しては同じ食べ物を好んで食べる傾向が強く、小さい頃はご飯やうどんの麺と牛肉しか好んで食べない子でした。

朝、母が卵かけご飯と味噌汁など用意してくれていましたが卵かけご飯しか食べませんでした。

小学1年生の時に土曜の朝、運動場で校長先生が朝礼をするので生徒は運動場に並んで立って聞くのですが、私はめまいで倒れてしまいました。

倒れた時のことは覚えていませんが、母が病院へ連れていってくれました。

Dr.Sugomori

お母さん、お子さんの体をみたらわかるけど栄養失調ですよ。あばら骨もでてるしお腹がこんなに前に出てる。お母さん、わからなかった?何食べさせてるの?

母は先生にそう言われてうろたえながら「この子は、うどんと白いご飯、牛肉以外食べようとしないので困ってたんです」と実は私もどうしたらいいのかわからなかったというようなことを私の横で話していました。

ガリガリに痩せていたみたいですね、私。

写真を見てみると、確かに頬もこけて目がぎょろぎょろ大きかったので「カマキリ」とよく男子にからからかわれたりしてました。

朝は焼き魚にご飯、味噌汁の日本食だったのですが、めまいを起こして倒れてからは食パンに変わっていったと思います。

母がどのように私に食事をさせるように努力したのかは覚えていませんが、昔の写真で小学3年生の頃のものをみると朝は食パンとミルクコーヒー、サラダ、ゆで卵に果物と当時にしてはとても充実した内容になっていました。

この頃から朝食は食べる子になっていったような気がします。

自分が発達障害を持っていると最近診断されて、この頃のエピソードを思い出すと「偏食傾向が強い子だったのはそういう理由もあったのかな」と納得できる思い出が少しずつ増えていってます。

社会人になってからお酒をよく飲むようになりました。20〜40代前半くらいまで飲んでいましたが、乳がんと診断されて以降は一切飲んでいません。

父は晩年、前立腺癌が見つかっていた

父は亡くなる数ヶ月前に前立腺癌が見つかり、手術で取り除く予定になっていました。癌自体は小さくて初期だったようです。

他界しましたが、ガン以外の呼吸器系の病気でなくなりました。

生前は牛乳を入れたコーヒーが好きでよく飲んでいました。

朝食も食パンとミルクコーヒーでした。

甘いものも大好きで、かりんとう、おはぎなどの和菓子は大体好きで、ドーナツ、プリン、シュークリームも大好きな父で体型は太っていました。

ドンクのミニクロワッサンが大好きでよく袋詰めで大量に買って私たちに「ほらっあげる。美味しいよ」と勧めて食べさせていました。

駅から歩いて3分のところに住んでいたので、父がいつも会社帰りにデパ地下によってスイーツを買って帰っていました。

そのデパ地下のスイーツはほぼ制覇したくらい甘いものをよく食べていました。

晩年に「喉が渇く」と水が欲しい、ジュースが欲しいと母に要求し、いつも自分のそばにはペットボトルを置き、体も痒くて引っ掻いていました。

母が父を病院に連れて行くと糖尿病の傾向が出ていると主治医に言われたようです。

先生に言われて母は父に甘いものを制限させていたのは覚えています。

それでも父は母に隠れて公園でシュークリームやアイスクリームを食べて私に携帯電話で「今、シュークリーム食べてるけど美味しいよ」と連絡していました。

野菜や青魚、酸っぱいものが大嫌いで、母の好みと真逆なのでいつも食事の内容でもめていました。

お酒はほんのちょっと飲んだだけで酔ってしまう父だったので飲みませんでした。

運動することも大嫌いな父で、いつもパソコンの前に座ってネットを見ていました。

父の家系は脳溢血や脳梗塞などの血管系の病気が多く、ガンはほとんどいません。

  • この記事を書いた人

巣ごもりママ

乳がんになりブログを始めた主婦です。(ASD・ADHD有り) 公立中学から灘高校へ進学した息子の幼い頃〜現在、そして大学受験の事が主な内容です。 遊んでいた知育玩具や問題集、夫の趣味(PC)などのせています。

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