乳がん日記

私と家族、叔母の生活の違いとがんの発症歴

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私と家族(父、母、姉)、叔母で生活の違いとガンの発症歴をまとめてみました

家族と叔母の食生活とがんの発症歴を思い出して書いてみました。

母は食そのものがあまり好きではなく、若い頃から小食

「食べることがそんなに好きじゃないの、美味しいとあまり思ったことがないのよ」と母は私が小学生の頃から話していました。

あまり食べないのでかなり痩せていました。

一日一食の時もありました。

野菜を食べることが多く、ドレッシング、マヨネーズやお酢をかけてサラダ、そのほかは湯がいた野菜でした。

大豆を保温ジャーを使い、豆から茹でてできたものをそのまま食べたりしていました。

野菜は旬のものもよく食べていて夏はゴーヤ、春は山菜など好んで食べていました。

肉は鶏のささみや胸肉、豚のヒレ肉のみ。それを茹でて食べていました。

魚も焼いてそのまま食べていたりしました。

母は腎盂腎炎で何度か入院して以来、塩を極力使わない食生活を続けていました。

今思うと筋トレをする人とかアスリート並みの食生活でしたね〜。

ナッツ、ドライフルーツもたまに買ってそのままよく食べていました。

ヨーグルトも便秘予防で朝たまに食べていました。

ネスカフェインスタントの濃いブラックコーヒーも好きでよく飲んでいて、レギュラーコーヒーも若い頃から好んで自宅で飲んでいました。

ご飯、パン、粉物など炭水化物全般が嫌いで食べなかったが頑固な便秘で下剤を常用していた

炭水化物も嫌いで、白いご飯はほとんど食べませんでしたがたまにお粥にして食べたりはしていました。

食パンは胃がもたれるし、しんどくなるからと毛嫌いしていました。

お好み焼きなどの粉物も大嫌いで「私はいらないわ」と家族の分は作っても母は食べませんでした。

たまに食べていたのはオートミールやハトムギ、そば粉です。

そのせいかかなりの便秘でいつも下剤を飲んでいました。

便秘が常だった母なので寒天を時々食べたり、ヨーグルトを食べていました。

果物を好んでよく食べていたが、スイーツは大嫌いでほとんど食べなかった

一般的な甘いものが好きではない母でしたが、唯一好んで買っていたものが果物です。

バナナやみかん、グレープフルーツ、オレンジ、甘夏、いちご、スイカ、もも、ぶどうなどなんでも買って朝に食べていました。

一番好きな果物ははっさくやグレープフルーツなどの酸っぱい柑橘系で、よく買って食べていたのは覚えています。

レモンも大好きな人で料理に時々使っていました(果物が大好きで健康だった母をみているので、「がんの場合、果物は糖分を含むからよくない」と一部で言われている事は腑に落ちないです)。

スイーツ嫌いで、ケーキ、クッキー、飴、チョコレート、おかきなど全てものを受け付けませんでした。

お酒は好きな母でビールをよく飲んでいました。

普段歩くのが日課で、買い物も遠く離れたところまで1時間は歩いて通っていました。

親戚からも家族からも「絶対長生きできるね」と言われていた母ですが病気以外の事故で74歳で他界しました。

母の家系はガン家系で、血液のガンの白血病や乳がん、大腸癌、胃癌など一通り一人はなってるくらい多いです。

なので、母は生前からガン予防のために生活をかなり意識して過ごしていました。

毎年健康診断を受けていて、血液検査はいつもパーフェクトな数値、健康は問題なく、乳がん検査も晩年受けていましたが異常なしでした。

熱いお風呂に入って長湯する母だった

母は熱いお風呂に入るのが好きな人でした。でも私の両親は冬は1週間に1回しかお風呂に入らない人達だったので私も何も疑問に思わないまま育ちました。

頭と顔は毎朝洗面所で洗っていました。

夫が私の両親と同居するようになった頃のことです。

巣ごもりパパ
巣ごもりパパ

君の家って1週間に一回しかお風呂に入らないんだね・・・

なんかおかしい?

巣ごもりママ
巣ごもりママ
巣ごもりパパ
巣ごもりパパ

普通毎日入ると思うんだけど

当時夫からそう言われた時は「綺麗好きな人だな」と思っていましたが、夫の実家によく行くようになると自分の家のお風呂に入る回数がかなり変わってることにやっと気がつきました。

父は晩年、前立腺癌が見つかっていた

父は亡くなる数ヶ月前に前立腺癌が見つかり、手術で取り除く予定になっていました。癌自体は小さくて初期だったようです。

74歳で他界しましたが、ガン以外の呼吸器系の病気、間質性肺炎でなくなりました。

50代半ばまで喫煙者でしたが、犬を飼うようになってから禁煙しました。

生前は牛乳を入れたコーヒーが好きでよく飲んでいました。

朝食も食パンとミルクコーヒーでした。

甘いものも大好きで、かりんとう、おはぎなどの和菓子は大体好きで、ドーナツ、プリン、シュークリームも大好きな父で体型は太っていました。

ドンクのミニクロワッサンが大好きでよく袋詰めで大量に買って私たちに「ほらっあげる。美味しいよ」と勧めて食べさせていました。

駅から歩いて3分のところに住んでいたので、父がいつも会社帰りにデパ地下によってスイーツを買って帰っていました。

そのデパ地下のスイーツはほぼ制覇したくらい甘いものをよく食べていました。

晩年に「喉が渇く」と水が欲しい、ジュースが欲しいと母に要求し、いつも自分のそばにはペットボトルを置き、体も痒くて引っ掻いていました。

母が父を病院に連れて行くと糖尿病の傾向が出ていると主治医に言われたようです。

先生に言われて母は父に甘いものを制限させていたのは覚えています。

それでも父は母に隠れて公園でシュークリームやアイスクリームを食べて私に携帯電話で「今、シュークリーム食べてるけど美味しいよ」と連絡していました。

野菜や青魚、酸っぱいものが大嫌いで、母の好みと真逆なのでいつも食事の内容でもめていました。

お酒はほんのちょっと飲んだだけで酔ってしまう父だったので飲みませんでしたが、ヘビースモーカーで家の中が煙で見えなくなるほどでした。

60過ぎに私が室内で犬を飼うようになった時に禁煙しました。

運動することも大嫌いな父で、いつもパソコンの前に座ってネットを見ていました。

父の家系は脳溢血や脳梗塞などの血管系の病気が多く、ガンはほとんどいません。

4歳年上の姉は体型は長年ふっくらしていて、日焼けも嫌がらず前向きな性格

姉は食べることは好きな人で、体型は中学1年の頃からずっとふっくらしています。

毎朝パン(市販の食パン)やヨーグルトを食べ、ミルクコーヒー(一回に少量の牛乳を使う)を飲んでいますし袋入り菓子パンも時々食べていますが、姉は深刻な病気をしたことはありません。

同じ食べ物を食べると飽きるらしく、その時の気分で変わると話していました。

特別日差しを避ける生活はしてなくて、真夏でも帽子をかぶる程度です。

趣味はガーデニングでよく庭で土いじりをしています。

子供の中学、高校時も役員(写真担当)をしていたのでよく学校へ行き、行事があるときは一眼レフカメラを片手に活動していました。

学校の役員を終えたと思えば次は自治会役員に当たってしまい、またイベントが続いています。

平日も自転車で買い物に出かけていっているようで活動的な姉です。

姉は乳がん検診で一度引っかかったことがあり、良性のしこりがあると言われて要観察、マンモグラフィー検査を毎年受けていましたが数年後に消失したようで現在は異常なしです。

マンモグラフィー検査も現在は受けていませんがエコー検査は受けているようです。

姉も母と同じく旬の食べ物を好んで食べる人で、春は山菜、夏はゴーヤなど食べています。果物も大好きで食べています。

お酒は一切飲めない体質です。

お風呂は長湯する人で、結婚してから毎日お風呂に入るようになったそうです。

性格はとても前向きで「がんは絶対、食べ物とかじゃなくてストレスからくると思う」とがんについて持論を持っている姉です。

私の生活習慣

18歳の時から日焼けを徹底して避けていた私

独身のころから乳がんになるまで30数年間、美白を意識して徹底的に太陽を避けて黒い日傘や長袖など着て日光を避けて生活していました。

今思うとかなり神経質でしたね〜。

UV加工の特殊な長袖ジャージを日除け用にわざわざ買って使っていましたし、日傘をさしてさらに帽子もかぶっていました。

カーテンもUVカットをするタイプをつけていました。

家の中でも顔は日焼け止めを塗っていました。今は外出時以外していません。

現在は真夏以外は帽子と日傘を使わなくなりました。顔のシミは結構増えましたがタモキシフェンも飲んでいたし歳のせいもあると思います。

私は幼少期〜小学低学年まで偏食がひどく白いご飯やうどんの麺と牛肉しか食べなかった

食に関しては同じ食べ物を好んで食べる傾向が強く、小さい頃はご飯やうどんの麺と牛肉しか好んで食べない子でした。

朝、母が卵かけご飯と味噌汁など用意してくれていましたが卵かけご飯しか食べませんでした。

小学1年生の時に土曜の朝、運動場で校長先生が朝礼をするので生徒は運動場に並んで立って聞くのですが、私はめまいで倒れてしまいました。

倒れた時のことは覚えていませんが、母が病院へ連れていってくれました。

Dr.Sugomori
Dr.Sugomori

お母さん、お子さんの体をみたらわかるけど栄養失調ですよ。あばら骨もでてるしお腹がこんなに前に出てる。お母さん、わからなかった?何食べさせてるの?

母は先生にそう言われてうろたえながら「この子は、うどんと白いご飯、牛肉以外食べようとしないので困ってたんです」と、実は私もどうしたらいいのかわからなかったというようなことを私の横で話していました。

私はガリガリに痩せていたみたいですね。

当時は自分でも「すごく痩せている」とは思わなかったんですが、今写真をみてみると確かに頬もこけて目がぎょろぎょろ大きいですね。

そういえば「カマキリ」とよく男子にからかわれたりしてました。

朝は焼き魚にご飯、味噌汁の日本食だったのですが、めまいを起こして倒れてからは食パンに変わっていったと思います。

母がどのように私に食事をさせるように努力したのかは覚えていませんが、昔の写真で小学3年生の頃のものをみると朝は食パンとミルクコーヒー、サラダ、ゆで卵に果物と当時にしてはとても充実した内容になっていました。

この頃から朝食は食べる子になっていったような気がします。

自分が発達障害を持っていると最近診断されて、この頃のエピソードを思い出すと「偏食傾向が強い子だったのはそういう理由もあったのかな」と納得できる思い出が少しずつ増えていってます。

社会人になってからお酒をよく飲むようになりました。焼酎からウイスキー、ブランデー、ワインまでなんでも飲めましたが好きで飲んでいたわけではなくコミュニケーションツールとして、またストレス発散が目的でした。

20〜40代前半くらいまで飲んでいましたが、乳がんと診断されて以降は一切飲んでいません。

サプリにハマった

外出を滅多にしなかった20数年間-ウインドウショッピングができなかった-

20代から引きこもり気味だったので、滅多に外出しませんでした。

息子が生まれてもほとんど外出せず(それでも罪悪感からか、頑張って1ヶ月に1回は息子を連れて親子で出かけていた)、週末だけ夫の車で買い物に出かけるような日々を過ごしていました。

ウィンドウショッピングというものができなくて用事がない限り家から出ませんでした。40代後半からやっと一人で外出ができるようになり、ごくたまにですが出かけていますがまだウィンドウショッピングが苦手です。

そして昔は運動不足すぎたことを今は反省して室内で筋トレやストレッチをしています。

小さい頃から悩みなどの精神的ストレスが多かった

私は小さい頃から自分の性格や周囲と馴染めないことでストレスを抱えて悩むことが多い人生を過ごしてきました。外出が長年一人でできなかったのもこのことが要因です。

特に私の10代〜40代前半までの期間は、ほとんど悩むことに時間を使ってきたと言っても言い過ぎではなかったですね。

精神科に数年通っていて薬も飲んでいた時期もありました。

家族に心療内科を紹介されて連れて行ってもらって、初めて自分が抱えてきたもの全てが発達障害からくるものだと先生から教えてもらった事と心理療法士さんによる治療を受けたことで、やっと悩みの8割はほぼ解消できて精神的ストレスも減り、日々平穏な生活を取り戻すことができました。

体型は痩せ型〜標準体型

私は中学生の頃からダイエットするようになり、20歳のころは一番痩せていて体重も42kgでした。

今思えば、当時の私は極端な食事制限のダイエットをしていました。

姉はずっと体型はふっくらしているので「体型の増減がない方が良いのかもしれないな」と思うようになり、現在の私は体重が50kgから51kgをキープするように努めています。

お風呂が大嫌いでカラスの行水並みに湯船に浸かるのが嫌だった

両親はお風呂にあまり入らない人達でしたが、私はお風呂は嫌いで体を洗うのもめんどくさくて湯船に黙ってつかるのもしんどくて嫌でした。

でも自分が乳がんになってからはゆっくり湯船につかるようになり、母の真似をしてお湯の温度も少し高めに設定しています。

免疫力を高めるためにもお風呂につかる事は良いそうなので毎日入浴するようになりました。

親戚の生活習慣

 乳がんからの肺腺癌で亡くなった叔母(母の姉)の食生活

叔母(母の姉)のことを思い出すと、ソーセージとハム、ハスカップ(北海道の果実酒)やビールを思い出します。

叔母の職業は小学校の教師で長年勤めていました。

叔母の息子がソーセージやハムが大好きで、朝も昼も太めのソーセージやハムを食事に出していました。

母が叔母の家に泊まると朝から脂っこいものが食卓に出るので「私は食べなかった」と話していました。

冷蔵庫には常に業務用の大きな袋入りのソーセージ、ハムが常備されていました。

天ぷらや唐揚げなどもよくしていたようです。

ハスカップやビールが好きで法事で集まると昼から夜中まで親族と飲み明かしていました。

叔父と息子がヘビースモーカーでした。

叔父は60代で肝臓癌で亡くなり、叔母も乳がんからの肺腺癌で60代で亡くなりました。

叔父と叔母は一人息子の持病で長年お世話するのが大変な一生を送りました。二人とも精神的な強いストレスを抱えていて、常にお子さんのことで深く悩んでいました。

母の妹は白いご飯が大好きでパンや甘いお菓子は食べないし運動大好きな人だけど胃と肺の癌に2回と甲状腺の病気になっている

母の妹は元看護婦で定年を迎えるまで働いていました。夜勤もよくしていました。

勤め出した頃から55歳頃まで長年喫煙者でした。

白いご飯が大好きで、絶対にご飯じゃなきゃ力が出ないとご飯は二、三杯おかわりする人ですがパンは嫌いで食べない人です。

歳をとっても食欲は旺盛で良く食べますが痩せています。

和食を好み、魚も好きです。

ビールも大好きでよく飲む人ですが、甘いお菓子などは好んで食べない人です。

テニスをするのが大好きで一年中真っ黒に日焼けして30年以上続けていますが、10年前に胃がんで手術し、2022年は肺がんになりました(ステージ1で手術すれば大丈夫な状態)。

そして2023年、甲状腺に異常が見つかり手術して幸い健康を維持できる状態になっています。

私の両親や義母、母の妹の健康状態を見ていると世間で言われている「これを食べるとがんを防げる」、「これを食べている人は癌になりやすい」っていう内容は当たることもあれば、はずれることもあるんだなと実感しています。

今までの食事を見直す

身内のヘアカラー歴について調べてみました

母とその親戚、姉のヘアカラー歴です。

  • 母 元々茶髪に近い黒髪で染めなかった。60代から白髪染め
  • 私 高校卒業後〜40歳まで22年間おしゃれ染めをしていたが、今は染めていない(50を過ぎても白髪が滅多に生えない為)
  • 姉 若い頃に数回染めたことがある程度でそれ以降は全く染めていない
  • 乳がんからの肺腺癌の叔母 若い頃から亡くなるまで長年染めていた
  • ご飯好きな元看護婦の叔母 白髪染めを長年している

ヘアカラーと乳がんで検索してみると、気になるデータもあるようです。

  • この記事を書いた人

巣ごもりママ

乳がん既往歴主婦(ASD・ADHD)。 子供の幼児期→公立小中→灘高→東大の学習記録や塾なし10年間の問題集、塾・予備校3年間、知育玩具、家族の趣味など掲載中です♪

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