参列して良かった灘校の卒業式
コロナ禍にある状況だったので、各家庭1人の保護者の参列という決まりでした。
我が家は最初、中学の卒業式に参列できなかった夫が出る予定だったのですが、急な仕事が入り久しぶりに出社しなくてはならなくなったので私が行くことになりました。
息子と一緒に最後の登校です。
途中JR線で列車の遅延があり、焦りましたが無事住吉駅に到着、卒業式の開始40分前くらいに学校へ入りました。
校門前での写真撮影は列に並んで待つ場所が設置されている
校門の前で撮る際は順番で並ぶ場所が校門の右隣に設けられていました。撮りたい方はそこに並んで順番を待ちます。
式が終わってからもゆっくり写真を撮れます。
息子は9時30分集合で教室へ行かなくてはいけなかったので、我が家は式が終わってから校門前で写真を撮りました。
体育館前に大きな看板
私は入学式の時にみた、校門前に立てかけてあった白い縦長の看板を探したのですが無かったんですね。
キョロキョロあたりを見渡すと「あった〜!」。
体育館前に大きな白い看板発見。
「卒業式式場」と達筆で書かれています。
「できたら灘校の漢字もいれてほしかったなあ」と思いましたが、白い看板を見つけられただけでも嬉しいです。
この看板に気がつき、前で撮っていた方に頼まれて写真をパチリ。
私たち親子もどうぞ〜とツーショットの写真を撮ってくれました。
卒業式式場(体育館)の入り口でA4サイズの記念クリアファイルに学校からの最後の書類が入っていて、それを受け取ります。
祝辞や送辞、答辞が聞き応えのある素晴らしい式でした
卒業式が始まり、卒業生入場〜卒業証書授与と、顔つきが凛々しく、生徒さん達の誇らしげな胸を張って歩いている姿を見ていると感動してしまいました。
和田校長先生の式辞をはじめ、理事長祝辞、育友会長祝辞、同窓会長祝辞、それぞれとても印象に残る深い祝辞でした。
これほど真剣に聞いた式辞、祝辞は私は無かったですね。
同窓会長さんの祝辞、「賢くなるよりも、優しくなるほうがはるかに難しいこと(Amazon会長、ジェフ・ベソス氏の言葉)」を引用して話された内容に心打たれて「世の中に出て、勉強以外にいろんなことも経験して欲しいな」と我が子のことを想ってしまいました。
在校生代表送辞で在校生が「高校から入学された先輩の英語の出来の良さに僕たちは焦りました」と話し卒業生からドッと笑いがおこったり、卒業生代表の答辞の後輩や先輩、先生との懐かしいエピソードもまじえた思い出話を聞いていると、学校生活があっという間に過ぎていった感じがして涙ぐんでしまいました。
本当に出席して良かったと思った卒業式でした。
式終了後、保護者は卒業記念品の受け取り
卒業式が終わると、1組から順番に呼ばれて卒業記念品を受け取りにいきます。密を避けるためだと思います。
順番が来て西館2階大講義室へ受け取りにいきました。
数点記念品が入ったバッグをもらいます(バッグも記念品の一つ)。個人的にバッグ好きなので嬉しかったです。
このバッグ、ある記念品が入ってるので少し重たいです。
来年以降卒業を控えているご家庭のために詳しい記念品の内容は控えました。
卒業式終了後一人で帰られる場合はできるだけ、荷物が少ない状態でこられたほうが楽かなと思いました。お子さんと一緒なら持ってもらうといいですね〜。
私はハンドバッグとA4ファイルが入る薄い厚さのお受験トートバッグで行きましたが、帰りは荷物が3つになり少し重たくて疲れました。
教室では先生から卒業記念印鑑をもらったようです。
息子は部活の集まりがあるので学校へ戻り、私は一人で帰宅しました。
帰りは珍しく、乗り換えを待つことなくスムーズに全ての交通機関を乗り継ぎできて自宅に帰れたので嬉しかったです〜。
卒業証書と灘校体育祭・灘校卒業式DVD
卒業証書です(名前等は削除してあります)。
感動の卒業式を無事終えて2週間後はいよいよ、東京大学の一般選抜の二次試験の日がきます。
これで灘高校の記事は終了です。
「もう灘の記事は書けないんだな」と思うと寂しいですね・・・・。
※体育館はコロナ対策で換気のためにドアや窓を開けていてとても寒いので、コート着用のまま参列しても大丈夫でした。ほとんどの保護者の方がコートを着たまま着席しておられました。寒い時期に親が風邪を引き受験間際の子供達にうつしてしまう心配もあるので防寒対策を取ることは大切なことですね。
そして6月ごろ、注文していた卒業式と体育祭のDVD(ブルーレイ)が届きました。プロの方が全体をしっかりと撮ってくれている映像です、大切な記念品の一つになりました。