おもちゃやファンシーグッズ、お誕生日会のプレゼントは買わせてくれなかった私の両親
おもちゃは息子が欲しいといったものは全て買っていましたし、自分でも「面白そう」と思ったものは息子が欲しいと言っていなくても買って遊ばせていました。
「おもちゃで遊ぶ、何か新しい事を知る」事に関しては私は徹底してそのような環境を整えてあげようと必要以上に意識していました。
そのような考えに至ったのは子供時代の思い出にあります。
父は家を買い替えることが多く母には生活費を決まった額しか渡さなかったので家族は節約生活を長年強いられていた
父は家が好きで引っ越しを3回しました。
1回目は大手ハウスメーカーの注文住宅の平屋でした。3歳の時に2回目の引っ越しをしました。
2回目は大手ハウスメーカーでこちらも注文住宅の一戸建てでした。昭和52年当時の価格で土地と建物合計で3,000万円していました。
普通はここで長く住むと思うのですが、父は違いました。
「通勤時間を短くしたい」という理由で2回目の引っ越しをしました。
この時私はちょうど中学1年生だったので転居先の学校での友達作りは大変苦労しました。
3度目の一戸建ても鉄道会社系列のハウスメーカーの物件です。
こちらは前回よりも価格は高めで5,800万円の物件を中古で購入していました。
音楽系の大学を子供に目指させる際、一番問題になるのが騒音問題でまた引っ越しをした
やっとここで生活すると気持ちを切り替えた矢先、今度は姉のピアノの騒音問題で母が近所から苦情を言われるようになり、家族全員が精神的に辛くなっていきました。
ピアノの受験は大変で、ピアノを長時間何度も練習曲を弾いたりするので音も激しくなり大きさもかなりあります。
毎日姉がピアノを弾く時間がくると必ず匿名の電話があり、母に文句をいう近所の方がいました。
当時100万円した防音部屋を部屋に作りなんとか騒音問題が解決したのですが、今度は父が「近所の人が朝から道端で井戸端会議してる横を通りたくないしバスがしんどいから駅のそばに住みたい」と言い出しまた引っ越しをしました。
4回目は駅から3分の場所にある中古物件の一戸建てです。
なんとかその家で静かに暮らす事はできましたが、4回も数年で家を買い替えたり、注文住宅だったりしたので相当費用はかかっていたと思います。
でも、父はまだ40代の頃に自分の別荘を注文住宅で建てていたので不思議だなとは思っていました。
株式投資も趣味だった父なのでそこから捻出していたのかもしれません。
亭主関白気味な父から日常を指示待ちするような生活を送ってきた母です。毎月決まったお金を父から渡されてその中で長年母はやりくりを続けていました。
晩年父は、「娘を音楽の大学に入れるために相当お金がかかった」と言っていました。
本人なりに家族のことを考えて決めたことだとは思いますが、私は自分の心にもやもやとしたわだかまりがありました。
父一人の決断で大事なことを決めずに、せめて引っ越しをするかどうか家族で会議させて欲しかったと今も思っています。
母は父の本当の給料を知らずに生活していたので、節約生活を厳しくする生活習慣が身についてしまっていた
両親が「おもちゃ(キャラクター系や日本のメジャーな玩具)は、すぐ飽きるし無駄」と言って自分が好む海外のセンスの良い玩具を少ししか私達姉妹に与えなかったのがかなり影響しています。
当時は珍しかったカラオケセットやサラウンド方式オーディオセットも買っていたので、もしかしたら自分の欲しいものを優先した父だったのかもしれません。
父が自分の好きなものや質の良いもの(もしくは考え)を追い求めるのは構わないんですが、子供にそれを強制するのは苦痛以外の何ものでもないと体験して実感しました。
欲しいおもちゃをほとんど買ってもらえなかったので、姉妹で段ボールや紙、テープを使って手作りで遊んでいました。
工作の技術だけは上がりましたね〜。
当時任天堂のゲームウォッチが流行り出したときも「こんなものはダメだ」と買ってくれませんでした。
おこづかいももちろんもらえませんでした。
私たち姉妹の服も母の手作りで作ったものがほとんどでした。
父のお通夜の日、遺品を整理していると給与明細が出てきましたがそれを見た時、金額の多さに家族全員ショックを受けました。
姉の友達のお誕生日会プレゼントに対する母の反応に驚いた
小学3年生の姉が「お友達がお誕生日会を開くというのでお祝いに友達みんなで集まるから、その時にプレゼントを持ち寄っていくらしいので自分も友達のプレゼントを買ってあげていい?」と母に言うと、母は「そんなものあげたって喜ばないでしょ。自分が選んだものじゃないから。それなら庭のブドウ持っていきなさい」と言い、庭に植えてあったマスカットを一房とって紙袋に入れて姉に持たせていました。
マスカットと言えば良さそうに思うかもしれませんが、お店で売ってるような綺麗な状態のブドウではなかったです。
姉を見ると今にも泣きそうな悲しそうな顔をしていましたが、我が家で両親がだめと言うことには逆らえなかったのでそのブドウを姉は持ってお誕生日会へいきました。
案の定、友達の家でプレゼントを披露する時がきたのですが、周りの友達はファンシーグッズやお菓子などプレゼントしていましたが姉が庭でもぎ取ったブドウを差し出すと全員目が点になっていたそうです。
「何それ?」と言う感じで一斉に見られたので姉は本当にあの時は辛かったと先日話していました。
父が亡くなった後、その話を母にすると「だって私もお父さんから決められたお金しか渡されてなかったから仕方なかったのよ」と辛そうに話していました。
自分が親になったら子供の気持ちを優先してあげようと心に決めていた
姉も私も小さい頃「好きなおもちゃで遊びたかった!」という気持ちの反動で自分の子供達には子供自身が欲しがるおもちゃを色々与えていましたし、姉妹二人とも大人になってからTVゲームにハマりました。
私は経験から自分の欲しいものを買うよりも子供のためになるものや欲しがるものなら買ってあげたいという気持ちがとても大きくなりました。
現在でもおもちゃ屋さんやスーパーでサンリオ等キャラクター系玩具やファンシーグッズを見ると自分用に欲しくなってしまいますね〜。
親を反面教師にして、自分の子供には自分の好みを押し付けたりしないように子育てしようと心に決めていました。