テレビが大好きで偏差値が30台でも勉強しなかった私
私は小学生から中学生1年になったばかりの頃まで勉強はほとんどしませんでした。
テレビが大好きだったんですね。
友達と遊ぶこともせず、テレビをボーっと眺めているのが好きでした。
テレビが友達がわりになっていたんだと思います。
そんなテレビ漬けの生活を中学生になってもやめないので、父とテレビの取り合いで大喧嘩しテレビの電源コードをハサミで切られてしまいました。
「今日からうちはテレビのない生活をするぞ!」と父は宣言し、朝食時に見ていたテレビの代わりにラジオを聞くことになりました。
中学1年の三者面談で偏差値30台の高校しかいけないと言われた
それでも私は「学ぶことは自分にとって大切なこと」とはわからず、勉強はしませんでした。
そして中学入学後の最初の個人懇談で「このままだと県下位の学校しかいけませんよ」と、担任の先生に怪訝な表情で言われました。
先生は現在だと偏差値30台くらいの学校名を挙げられました。
付き添いできていた母は「そうなんですか・・」とがっかりし学校からの帰り道で私に「勉強できなくてもいいのよ〜、高校は進学したらいいし大学が全てじゃないから」と言っていました。
私が中学2年生になったばかりの頃、父が「駅前の進学塾に入って勉強しなさい」といってきたので、某有名進学塾に仕方なしに入ったのですが・・・・・。
有名進学塾の最下位クラスに入塾しても授業の内容が頭に入らなかった
成績は悪かったのになぜか入れました。集団授業で最下位のクラスです。
先生の顔を見て授業を受けていたのですが全然話が頭に入らず、気がつくと先生の服の方に集中してしまったり、先生の話を最後まで聞けないので周りの生徒の様子を伺ったり気が散って頭に何も入りませんでした。
ただ、黒板に書かれた文字をノートに書いていたのですが、先生の話を聞いてないのでノートをとっても「何でこれを書いたのか」がわからなくて、テキストもその場で読もうと思っても周りに気が散ってめんどくさくなり途中から飛ばして読んでしまうので、結局何も理解できないまま1ヶ月通っていました。
頑張って通っていたのですが、「一体私は何をしに塾に行ってるんだろう?」と疑問に思うようになり、「無駄だ」と思って両親に「もう塾やめる」と言いました。
すると父は「有名進学塾にいってるのになんでわからないんだ?」と不思議そうに聞いて来るのですが、「なぜかわからないけど、わからない」としか答えられませんでした。
仕方なしに私を退塾させてくれましたがその後も私が全く勉強しないので、さすがに心配したのか元教師の母による家庭教師が始まりました。
一番大事なものを母から教えてもらう
母が「まず教科書だけ読んでご覧。教科書を何度も読むの。教科書が一番大事なのよ。数学は特に公式をちゃんと根底から理解できれば難しい問題も解けるようにできてるのよ」と言われたので読みました。
中学の教科書がわからないのは小学校の教科書がわからないせいだと、小学の教科書からさせられました。
はっきりとは覚えていませんが、低学年の教科書から読んだと思います。
「読んだからどうなんのよ」と思っていましたが、不思議です、少しずつわかるようになってくるんです。
一回だけでは途中飛ばし読みする癖があるので、何回も読みました。各章の最後にまとめてある漢字の小テストのようなものも漢字を書いて覚えていきました。
すると少しずつ記憶したり理解出来る範囲が増えていきました。
写して理解する
特に顕著なのは算数(数学)、英語、理科、社会でした。
5回ほど読むと、別の日に母が「次は教科書に載っている例題や公式を紙に書いて理解しながら写しなさい」と言いました。
母が数学の教師だったので算数(数学)だけ公式や問題を見てくれました。
「写したからって覚えれんの?めんどくさいな」と思っていましたが、言われた通りに算数(数学)と英語だけ清書をしてみました。
図形のところは物差しを使って図形を書いていきました。公式も面倒ですが、書き写していきました。
でも不思議なもので、鉛筆で紙に書くとどうやら頭に入るようでした。
「お母さん、大体わかってきたけど」と言うと、「じゃあ、次は教科書ガイドの問題を解いてみて」と言うので、それも順序通りにやっていきました。
当然わからないところは母が教えてくれました。教えてくれたのは小学算数から中学数学の最初のほうだけです。他教科は教えてくれませんでした。
そうやって母の言う通りコツコツと公式を理解していくと、不思議なことも起こりました。
公式そのものをじっくり深く追求すると、本当に母のいう通り難しい受験の問題も解けていったのです。
「あ、これか、母の言っている事は」と思いました。
受験まで時間は全くなかったのですが、焦らず一つ一つの公式をじっくり「ここは、どうしてこうなるんだろう?」と考えながら公式そのものをしっかり理解すると後の問題は応用すれば良いということがわかりました。
姉から面白い学習本を見せてもらう
当時姉も私のことを心配してくれたのか社会の学習本を教えてくれました。
「すごく面白い日本史と世界史の本あるよ」と見せてくれて、本当に笑うほど面白かったので(内容が脱線している箇所が多くふざけていましたが)その本で自然と覚えていきました。
面白い学習本で記憶力もUPした
みんなで受験合格 面白世界史 あこがれ共同隊 栗野邦夫 大和書房
姉が笑いながらこの本を見せてくれた時、私は衝撃を受けました。
「こんな受験本あるんだ〜」と思い内容が史実の逸話が面白く載っていて、言葉や用語の語呂合わせで登場人物をキャラクター化したり、手書きのイラストやコラージュ満載で、私は文字より絵などの視覚から覚えるのが好きだったので、この世界史と日本史の二冊はよく読んでいました。
当時は書店に山積みになって売られていました。
これだけで世界史と日本史の成績が上がったわけではありませんが、この二冊が記憶力向上のきっかけにはなりました。
この二冊がとても気に入り英語の単語版も出版されたので、全部買って英単語はそれで覚えました。
私はこの本を中学生の頃に副読本として読んでいたのですが、息子に勧めると、
参考書でこういう絵が多い本は気が散って読めへん。文字だけでいい
と言われてしまいました。
ですのでこの本は万人にはお勧めしません。普通の受験本では退屈で嫌だなあと思う受験生の息抜きの為の本です。字が小さめです。大学受験向けの本です。
少し大人な内容もありますので高校生からなら良いと思います。
※1986年出版の本ですので古い内容ですし現在の試験とは範囲も違いますので、あくまでも参考程度にお願いいたします。
偏差値や成績の点数の数字が増えていくのが楽しみになり、毎日夜中まで勉強していた
少し勉強のペースが上がってきたので、そこからは本屋に行き問題集や暗記本を自分で選んで勉強していきました。
勉強すればするほどテストの点数が増えていくし、偏差値の数字も増えていくので数字が増えていくのが楽しくて寝るのも惜しんで夜中の2時、3時まで勉強していました。
数学で100点近い点数を取るようになると、他教科もやったらできると思うようになりどんどん勉強していきました。
他教科も100点近い点数を取れるようになっていき、そしてこの頃には母の教え無しで学習できるようになっていました。
気がつくと中学2年の冬には校内順位で15位くらいに上がっていました。
担任の先生は「ものすごく成績上がりましたね〜。北大和高校も四天王寺高校も志望校にできますね」と笑顔でおっしゃっていました。
家庭学習だけでも成績は上がった
母もすごく喜んで「勉強は頑張ればできるようになるんだから」と言っていました。
五ツ木模試だけ受けた記憶があります。5教科で偏差値65までいきました。校内順位は最高6位までいきました。
今は存在しない北大和高校は当時偏差値63でした。併願先に四天王寺高校普通科(当時、普通科は偏差値63前後だったと思いますがあまりよく覚えていません)を選び受験しました。
結果はどちらも合格でした。
当時の北大和高校を受験した生徒の中で奈良県の公立高校入学試験問題の数学で100点を取ったのは私1人だけでした。
入学後のクラスの教室で担任の先生に「入試で数学100点の生徒がいる。巣ごもりさん、数学100点すごいね、嬉しいなあ」とみんなの前で言われたのでわかりました。
数学の先生(九州大学理学部数学科卒)にも「奈良県の入学試験問題の数学100点取った巣ごもりかあ〜。将来九州大学の数学科目指したらいいんちゃうか」と言われて恥ずかしかった思い出があります。
偏差値30台から偏差値65まで自力であげられたのは、姉と今は亡き母のおかげです。
やっぱり他人ではなく大好きな母から直接教えてもらったことが最大の効果を出したんだと私は思っています。