我が家の1例です、参考程度にご覧ください。
息子が小さい時は具体的な学校を目指すために勉強させていたわけではありませんでした。
親は受験する学校名はこだわっていなかった
将来塾に行く事になるだろうから、塾の勉強についていけるだけの学力はつけさせてあげようと思って息子が小さい頃は教えていました。
私は息子が赤ちゃんの頃から常に大学に目を向けていたので、中学、高校は息子の水準にあえばどこでも良いと思っていました。
小学高学年になると息子は自分で勉強するようになり、私もその頃には勉強をみなくなりました。
何度か書いていますが灘高校を受験する事は息子が塾選びをする時に初めて知りました。
私達夫婦は少し変わっているのかもしれませんが息子が灘高校を受験したいと言った時夫は、
そう〜、受かったらいいね〜!

と軽い感じで答えていました。
夫も私も受験校に対して特に意識せず、数ある高校の一つとして捉えていました。
特に私は当時乳がんという「人生」を常に考えさせる病気になった真っ最中だったので息子の高校進学先については深く考えられませんでした。
入試説明会で灘校の魅力を知る
塾の先生のアドバイスや、夏〜秋の各学校の説明会に行くようになって、受験生や保護者の方々の様子を知る事ができました。
それら学校の中でも特に、灘高校は世間から「通いたい、通わせたい」と親子共に思われている学校なんだなというのが説明会の会場の様子ですぐにわかり、長年最難関高校として日本で知られ続けた圧倒的な存在感もあって伝統、歴史を感じました。
入塾テストを受けた塾で「灘高校は別格なんです!」と先生がおっしゃった事がわかった気がしました(息子の卒業後に、さらにそれを実感することになりました)。
灘校は親しみを持てるオープンな学校で、初めて「学校」の良さを知った
先生から学校生活や日頃の生徒さんについての様子を聞いていると、最初私には存在が凄すぎて遠すぎた灘校が親しみを持てるオープンな学校なんだなとわかっていきました。そのほか皆から憧れられてきた学校というのは学校生活の魅力もたくさんあるんだなと思いました(今まで自身のあまりよくなかった学校の思い出もあり「学校」には否定的な考えを持っていた私でしたが、息子が灘高校に入学してからその良さを知りました)。
息子は塾の先生とのやりとりが頻繁になり夜遅く帰ってくることもありましたが、息子が夢中になって夢に向かって頑張ってると思ったので、私達は「どこそこの学校に行って欲しい」という気持ちも起こることなく静観していました。
塾での成績表も、実は当時私は全く見ていませんでした。
駿台模試の結果も息子が、

お母さん、結果よかったよ〜
と言いにきて、チラッと駿台模試の表を見たのは覚えていますが、自分の病気の事を考える事で精一杯で息子の成績の事にまで気がまわりませんでした。
合格して入学後ブログを書くようになり、副作用がなくなって体の調子が良くなってきたので息子の部屋の段ボールに入っている過去の塾のプリントをあさり、「塾のテストの成績良かったんだね」と息子に言うと「今頃気がついたの?」と言われました。
なぜ灘高校を選んだのか?息子に聞いてみた
息子はきっと偏差値だけで学校選んでるんだろうなと思っていましたが、実際は違いました。
「自分はとにかく歴史を重んじる方だから著名な人が卒業していて、長年勉学に励んで先に進んで教えてくれる学校が良いと思っていた。教科書を作った先生もいるし益々優れた先生に是非教わりたいと思ったし、理系クラブが豊富だったからどうしても灘高に行きたかった」と話してくれました。
優秀な先生方と友達がいる環境で学ぶことで刺激を受け、塾なしでも成績が上がっていった
息子は塾に通っていませんでしたが高校3年時に東大模試でA判定を出せるようになっていったのは、優秀なお子さん方と一緒に学べる貴重な灘校の環境も影響しているからかなと思いました。
私は、塾の先生が「無理してでも行ける可能性が少しでもあるなら、灘高校に行くべきです」と言ったことを、息子が2回目の東大受験を終えた後ふと思い出しました。
灘高校で優れた同級生とともに競いながら先生方から学んだことが素地となり、そのおかげで浪人生になっても予備校の特進クラスに入れてさらに息子の望む大学へ歩み寄ることができた状態になっていったからです。

灘高校の数学の先生のおかげで、自分がより数学を好きになって東京大学に行って本格的に数学を学ぶ道へ進んでいこうと思ったし、国語、英語の先生方のおかげで文系の成績も伸びたから
東大合格後に息子はそう話していました。
一番大事なのは学びの場や周囲の環境なんだなと息子を見ているとそう思います。
卒業後もつながりが持てている
灘校は人とのつながりを大切にしている生徒が多いと思います。卒業後も息子は同級生達と連絡をとって、たまに会ったりしているようです。
先生から灘校OBの方の話を聞き、「縦と横のつながりを大事にしている傾向が強い」と伺うと息子の所属しているクラブの先輩を見てもそうだなと実感しています。
様々な家庭で育ってきたお子さんが、灘校で出会い交流することでお互いの価値観を尊重する間柄になり、卒業した後も時々集いを開いたり灘校OBとして卒業した同級生や灘校の下級生を気にかけてくれる存在へと成長していく様子が、土曜講座やクラブ活動、文化祭、その後の交流会、同窓会で知ることができ、「そこに一番魅力がある」と思いました。

灘校大好きだよ〜
東大生になった息子は今も灘校に愛校精神を持っています。
息子に先生を信頼する気持ちがあった事も大変よかったと思う
息子が灘高校の入学試験を受けている最中も、
久しぶりに神戸港にきたけど風が気持ちいいなあ〜!次は南京町と三宮も行こう〜

と息子の受験に付き添って行った夫は息子の試験が終わるまで灘校を出て神戸を観光していました。
私達が息子の受験にあまり関心がなかったから息子も塾に集中出来て塾を信頼する事が出来、のびのび勉強できたのかもしれません。
親が塾の先生方に対し完全に信頼していたので、子供にもその気持ちが伝わったのがよかったです。
息子は学校や塾の先生方を尊敬していました。
現在も灘校や予備校の先生を信頼している気持ちが息子から強く感じられますが、浪人時代はそれが受験に対する安心感へと繋がりプラスに働いていました。
勉強というものを極めていくと自分で覚悟を決めた小学生のときから、息子の優れた先生へ敬う気持ちが増幅し続けて今に繋がっていることは大変良かったことだなと私は思っています。