思う事

県下で一番荒れていた中学校から地元で進学校と言われていた学校へ2度転校した話

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奈良県の公立中学校に2校通った私

私は中学時代に2度引っ越しをして、2回学校を転校しています。その2校があまりにも真逆で私は大変戸惑いました。

最初の公立中学校は県下で一二を争う、荒れていると言われたA中学校

当時、金八先生というドラマや漫画のビーバップハイスクール、なめ猫というキャラクター、アイドルグループのチェッカーズが流行った時代でやんちゃな中学男子は髪はパンチパーマかリーゼントに制服は長ランか短ランボンタンというスタイル、やんちゃな女子は化粧をして髪は聖子ちゃんカットでヘアカラーをしていたり、パーマをあててスカートが床までつく長さか逆に超ミニスカート、靴はヒールが高くて極細のつっかけサンダルというスタイルが多かった時代です。

学校指定の革カバンはお湯をかけて薄くたいらに潰したものを持つか、手ぶらが多かったですね。

荒れている学校なのに、先生方は人格が素晴らしい人ばかりだった

最初に入学したA中学校はとても素晴らしい教師が多く在籍している学校でした。

世間的には県下で一二を争うくらい荒れていると言われていた学校ですが、不思議なことにそういう学校に限ってどの先生も人格が優れていてしっかりした感じの方が多かった印象があります。

今思い出してもその先生方一人一人の顔ははっきりと覚えているほどです。

体育の先生は生活指導も担当していましたが、毎日荒れて暴れている生徒を叱りながらも愛情を注いで接している様子が中学生の私でも感じ取られるほどの先生でした。暴れている生徒もなんとなくわかるんでしょうか、反発しながらもその先生の言われたことには従っていました。

母もPTAの仕事で校内を見回り、授業をサボってたむろしている生徒に話しかける活動をしていました。

教師をしていた母が言うには「公立学校は荒れている学校ほど良い先生が集められるのかもね」と話していました。

確かにそうかも知れません。

担任の先生は個人懇談の際にも、勉強できない私に優しく声をかけてくれました。

そんなさりげない対応って意外と心に深く残るようで、私はその先生を今も覚えています。

生徒はものすごく荒れてはいたが、子供一人一人は純粋な心を持っているとても素直な子供達だった

生徒は授業中に一階廊下をナナハンのバイクで二人乗りをしてエンジンをふかしながら素通りするのが普通、授業中に前の扉から堂々と入ってきて先生に大型ヤカンを投げつけてちょっかいを出したり、窓ガラスも楽しそうに金属バットですぐ割ってしまうし、廊下は食べた袋入りパンの袋やジュースの空き缶が無造作に落ちていたりとものすごく荒れてはいましたが、生徒同士のいざこざなどは思い出しても深刻なものはなかったような気がします。

休憩時間は机に座っていることが多かった孤立気味な私でしたが、たまに接してくれていた犬好きでクラスで一番ヤンチャな金髪パーマの女子がいて自宅に招いてくれた時に「専門学校行ってトリマーになりたい」と私に教えてくれました。

また元気良い生徒たちの為に作られた他校ではみられないボクシング部や相撲部もあり、そのボクシング部に所属していた学年一ヤンチャで目立っていた男子生徒が「今度試合に出んねん!俺、上の階級目指してるから」と嬉しそうに目をキラキラさせながら私に将来の夢を語っていた事が印象深く記憶に残っています。

2校目の公立中学校は地元でも難関高校進学率が高い学校

2校目の中学校は1回目の学校とは所在する市が違い、また最初の中学校とは真逆の進学校でした。地元では難関高校進学率が良い公立中学校として知られていたようで、県内や県外の難関私立や難関公立高校の進学率が良かった学校です。進学塾に通う生徒も多かったですね。

転校した初日、先生が私の紹介をクラスの生徒にしたのですが・・・・・・。

荒れた中学校は奈良県内でも有名だったので、転校先でも学校の噂を色々聞かれた

「A中学校から転校してきた巣ごもりさんです」と先生が一言言うと「え〜っ!?あのA中学なんか?!」と最後列の席のあたりから驚きの声が複数上がりました。

巣ごもりママ
巣ごもりママ

みんなどうしたの?

その驚きの声を聞いて、私はますます緊張して何もいえなくなってしまいました。

その紹介の後の1時間目の授業が始まる前の休憩時間です。

クラスでほんのりやんちゃそうな男子や女子が私の周りに集まってきて、「なあ、A中ってどんなとこなん?凄いって聞いてんねんけど」と興味津々で聞いてきました。

私が最初の中学校ではごく普通に起きていた日常の学校生活をみんなに語ると「えええっ!?すっご〜!やっぱりすごかってんなあ、レベルが違うわ」と納得していました。

今思うと世間では酷く思われた学校生活かも知れませんが、私としてはいじめもなかったしむしろそのようなやんちゃな生徒から対等に話しかけられたりして良かった事しかありません(クラスで孤立気味な私に元気な男子が話しかけてくれたり、ファンシーグッズのイラストをそっくりそのままコピーして描ける私だったのでやんちゃな女子から「これに描いて」と校内ばきやバッグにマーカーで描いてあげたり、その女子の自宅に遊びに行くと屈強そうなお父様が「こんな真面目な子が遊びにきてくれた」ととても喜んでくださって晩の食事までご馳走になり、わざわざ出前を頼んでうどんを注文してくださったことが良い思い出として残っています)。

その1回目の休憩時間が終わり、昼食の時間になるとクラスの廊下窓から私を見ようと他教室から来て覗き込む生徒がたくさん集まり、「へえ〜!A中からきたこか」と言われてさらに緊張していました。

2校目の中学校の3年の担任の先生はどの生徒にも高校に合格すると、「良かったね〜!頑張ったなあ」と褒めていました。

その学校は勉強もできる学校でしたがクラブ活動も優秀で、美術部や吹奏楽部なども生徒は優秀でコンクールで入賞するのが常連の学校でした。

  • この記事を書いた人

巣ごもりママ

乳がん既往歴主婦(ASD・ADHD)。 言葉がおそかった子供の幼児期→公立小中から灘高へ、そして東大生の学習記録や塾なし10年間の問題集、塾・予備校3年間、知育玩具、家族の趣味など掲載中です♪

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